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対降魔部隊SS外伝「全ては海へ」

  対降魔部隊SS外伝「全ては海へ」 夢織時代 2016/09/27 00:01:28
  本編一 夢織時代 2016/09/27 00:02:44
Re: 対降魔部隊SS外伝「全ては海へ」 [返事を書く]
本編一



 裏御三家というものはそもそも表沙汰にされる存在ではない。
 本来は都にあって都の霊的守護を司る者であるが、土御門では物理的な戦闘能力に欠ける。
 俵藤太や源頼光のような英雄が常に用意できるわけではないとわかったために、武士の台頭の折に密かに設けられたものである。
 さりとて昇殿できなければ帝の守護すらままならず、藤原家の庇護、あるいは必要に迫られて出来たのが、最初の一家、藤堂家というわけだった。
 他の二家、隼人、真宮寺については、家がやっと定まったというところだった。
 そんな時代、当代藤堂家当主の一の姫は、事実上の後継者であると目されていた。
 齢十六にして、既に討ち果たした鬼は数知れず。
 応仁の乱で大半の結界が消し飛んだ都に今でも帝がおわすことができるのは、姫のおかげと言っても過言ではない。
 もっとも、姫の護衛として振り回される私に言わせれば、少しは大納言家の姫としておとなしくしていて欲しいというのが本音であった。

「大和へ行く?」
「うむ。そなたも一緒にお父様を説得するのじゃ」

 奈良に出向くくらいで一々当主の許可を得るような姫でもあるまいに。
 追いかけて行ったら平城京の羅生門で鬼と切り結んでいたことすらあったものを。

「妾もさすがに逢坂の関を超えるとあっては無分別には行かぬ」
「姫、お待ちを。逢坂の関の向こうの大和とは、よもや」
「北条氏綱とやらが治める風水都市大和。都を凌ぐ繁栄を極めているというが、土御門が懸念を示してきおった。滅びの予感がするとな」

 それはもう、坂東の地の話ではないか。まかり間違っても都の姫が出向くような地ではない。

「なんじゃ、知らぬのか。今や五摂家でさえ食うに困って各地の守護大名に娘を差し出す算段をしておるのだぞ」

 目眩がした。幼い時より背中を守り続けてきた姫を、誰が坂東の田舎侍などに嫁がせたいなどと思うか。

「早とちりも大概にせい。嫁ぎに行くのではないわ。必要とあらば、北条氏綱とやら、切らねばならぬ」

 五日に亘る不毛な論争を経て、ご当主は姫の坂東行きをとうとう認めてしまった。
 されば、我も京でのうのうとしていられるわけもない。
 姫のお付きをしていた我が妹ともども、我も坂東へ赴くこととなった。

 以後、都に帰ることはない旅になると、どこかでわかっていた。



 姫の東下りには帝の勅使という名目が付いた。
 斎宮にも引けをとらないような行列が仕立てられ、姫はゆっくりと東国へ向かう。
 我と妹は、その先触れの使いとして先んじて東へ向かうこととなった。
 表向きは。

「うまく行ったようじゃの」

 姫の顔を知っている者など、ごく親しい者しかいない。
 そして、我の妹は昔から姫の身代わりを仰せつかることに慣れていた。
 歳もそれほど離れていない。
 これ幸いと、姫は今度も我の妹に勅使を任せ、自分はこの通り、我とともに旅装束で先触れの使者になりすましていた。

「何をふてくされておる。ミキとて喜んでいたからよいではないか」

 妹は妹で、勅使の衣装に喜んでいたのは事実である。
 そんなことは今更なので我の機嫌が悪いのはそんなことのためではない。
 畿内の旅行ならまだしも、これほどの遠出を姫と共にしたのは初めてである。
 普段から男装など慣れたものの姫は、水浴びも遠慮なく行おうから始末が悪い。
 たとえ幼いころより見慣れている我といえど、幼いころと同じではいられないものがあるのだ。
 余人の目を隠すために手配しようとすれば、否が応でも目にしてしまう。
 美しい。
 世が世でなければ入内して、内裏の中の最奥でしか男の目に触れぬであろうものを目にする我はなんなのだ。
 その美しい藤の化身と、夜の闇の中で何も遮ることなく板の上に並んで転がる我が身に懊悩する。
 我が手にできずとも、誰の手にも渡したくないと願わずにいられぬほどに。
 坂東への道中は甘美なる地獄であった。



 遠州に入るとさすがに評判も聞こえてくる。
 曰く、塵を集めて海を埋め都を造ったと。
 曰く、都に行けば老いも若きも皆幸せに暮らせると。
 曰く、大いなる和の都であると。
 曰く、讃えて人の言う、氏綱様は海の公子であると。

「ずいぶんな評判じゃな」

 この戦国の世、間者などどこにでも紛れ込んでいようが、意外なほどに大和を罵る声は少ない。
 土御門の懸念は杞憂ではないのかという思いは、我だけでなく姫も抱いているのだろう。
 伊豆を前にして、このまま大和に突き進んでよいか姫は悩んでいた。
 そんな折、噂の中に、関東管領が大和に攻め込むとの話が入った。
 罠か、誠か、いずれにせよ氏綱の一端は伺えよう。

「見に行くぞ」

 危険過ぎる、という我の意見など聞いてくれる姫ではなかった。
 何が何でも、止めるべきであった。
 遠目からでもそうと分かったろう。
 それはまともな戦ではなかった。
 都崩れの陰陽師、修験者たちを揃え、武士たちに百鬼夜行を伴わせ、押し寄せる関東管領の軍勢を破る。
 それは、鬼と斬り合いながら姫が知らなかった、我が姫に見せまいとし続けていた、人間の武力だった。

 それだけならまだしもだった。
 氏綱軍の所業は、さすがに我の想像を超えていた。
 最初に倒された関東管領軍の先鋒の屍が、甲冑とともに起き上がった。
 その屍に取り憑いている怨霊の苦悶や慟哭は嫌でも見て取れる。
 死してなお鬼と化して、百鬼夜行の列に加わり、かつての味方に向かっていく。
 荒ぶる意識、獣のように食われていく者たちに、見ているだけで心をかき乱される。
 だが、危ういところで気づいた。
 顔色を蒼白にしながらも、怒りに燃える瞳とともに姫が飛び出さんとしていた。
 とっさに姫を羽交い締めにして抑えこむ。
 凡百の陰陽師など姫の相手にもならないが、この場で姫が怒りにまかせて氏綱軍を一掃してしまっては、後々厄介この上ないことになる。
 組手で姫に幾度も投げ飛ばされている我だが、こと力づくとなれば、齢十六の姫に負けるものではなかった。
 暴れる姫の動きが、諦めたように止まった。

「よい、わかった」

 気がつけば、姫の身体の触れてはならぬところを鷲掴みにしていた。
 火でも触れたように慌てて手を離し、その場に首を差し出すように平伏する。
 その場で首を刎ねられても文句など言えぬことをしてしまった。

「忘れよ」

 頷くしかなかった。

「妾を止めてくれたことは礼を言う」

 ただその日から、姫は我に水浴びの姿を見せなくなった。



 死人の都かと思っていたが、その光景はあまりに意外であった。
 いや、もとより評判の通りであったとも言える。
 都そのものに至る前から、街道を行き来する商人と幾度もすれ違う。
 道は歩きやすく、ところどころに宿を貸す集落がある。
 人々をよく治めている。
 その事実は受け入れざるをえない。
 集落を守るものが、躯すら無くなり甲冑に取り付いた怨念だけで立っている歩哨を従えた陰陽師であっても。
 怨念の見えない民草には、ただの式神にしか見えないのであろう。
 驚く我をいっそ不思議がるほどに、領民には馴染んだ光景であるらしかった。

「そなたらも仕官の口か、多いな」

 陰陽師が咎めもしなかったのは、我と姫を大和への仕官に向かう者と見たようだ。

「今は強き者が一人でも多く欲しいとお館様は仰せだ。そなたら、なかなかのものであろう」
「お館様は我らのような者でもお抱えになられましょうか」
「儂とて食うに困って根もなく東下って来た者よ。それがこうして仕官しておる」

 敵に対する所業と、この戦国の世に珍しきおおらかさか。
 わからぬ。
 氏綱がいかなる者か、我には判断がつかぬ。



 遠くから、それは山に見えた。
 樹木の一本も生えていない峻厳なる岩山の群れからは、しかしその印象を裏切るように、飯炊きのものとおぼしき煙が幾筋も立ち上っていた。

「仁徳帝ではないが、少なくともあの岩山の中は飢えてはおらぬようじゃの」

 近づくに連れてその姿が徐々に明らかになっていく。
 湿地が続く武蔵の地だが、そこを貫き海の先に立つ岩山へと向かう街道が整備されている。
 街道といっても、朱雀大路にも匹敵する横幅を有するとてつもないものだ。
 行き交う商人たちがいくら重なっても容易にすれ違うことができる。
 これならば数千、いや、数万の兵であっても速やかに進行させることができるであろう。

「塵を集めて海を埋めた、か。なるほどの」

 踏みしめている地面から姫が拾い上げたのは貝殻の破片だった。
 強く踏み固められているが、これらは元々海の砂であるらしい。
 よく見れば魚など海の生き物の骨や欠片がそこかしこに見られる。
 だがその先に見える城門は、海の塵などでは到底ありえなかった。
 朱雀門などとは比べ物にならない。
 海の底から岩山を持ち上げてきたとでも言うのか。
 さながら玄武の身体のごとく、鈍く黒光る強固な岩肌を持つ峻厳なる岩山だった。
 門の左右も上部も全て強固な岩盤で出来ており、その中央に、人智を超えたような力で開けられたとしか思えない巨大な穴が空いていた。
 これが城門となっており、左右にはその門を閉ざすための岩と鉄とで出来たとてつもなく巨大な門扉が構えられていた。
 天上天下のいかなる軍勢が、この城門を攻め落とすことができるというのか。
 この城を構えているというだけで、天下の覇者であることはもはや決まったようなものではないか。
 この城に比べれば、足利将軍など吹けば飛ぶような風の前の塵に過ぎまい。
 その城の名を称えるかのように、門番は高らかに告げる。

「ようこそ、我らが御屋形様の都、大和へ」



 城門をくぐった先に広がる光景に、ただただ絶句する。
 通い慣れていると思われる商人はまだしも、我らと同様に初めてこの大和に来たと思われる者がそこらで同じく呆然と立ち尽くして見上げている。
 応仁の乱によって荒れる以前の平安京のような都が広がっているものだと思っていた。
 だが、風水都市大和とは、我らが知る都とはまるで違っていた。
 強いて思いつくところで近いものは、東寺の五重塔だろうか。
 あれよりも遥かに高い、十重か、いや、もっとだろう。
 そんな高さの塔のような、岩山のようなものが、一つではないのだ。
 大路を挟んで両側にずらりと並んでいる。
 つまりはそれが計画されて建造されたものであることは間違いない。
 それらの塔の各所には窓が設けられ、一つ一つに障子が嵌めこまれている。
 どの障子も破れた様子はなく、手入れが行き届いていることが伺える。
 いくつかの障子が開いていて、隙間からは子供らの遊ぶ声が響く。
 やはり、これらは全て人々が住まう家屋なのだ。
 岩山と岩山の間には回廊のようなものが渡されていて、ところどころで人々が渡り歩いている。
 その人々の顔は生き生きとしていて、荒廃した京に住まう人々のくたびれ果てた顔とは比べるのもはばかられた。
 宿に入ってその暮らしの一片に触れただけで、その違いは嫌というほどに思い知らされた。
 大和に至るまでの道中で寺に一夜の宿を求めるときに払った銀では、高すぎると釣りが出た。
 都で使われている使い古された宋銭とは比べ物にならぬほど精緻な銭であった。
 それでいて、案内された部屋は畳も障子も襖も新しく、慈照寺の造りもかくやという快適なものだった。
 宿の建物の地下には、有馬のようにこんこんと湯が湧き出る部屋があり、体を湯に浸すことさえできた。
 湯上がり後に出された膳は白く輝くような米に、海の魚や貝などがふんだんに使われた豪勢なものだった。

「気に入らぬな」

 湯に浸かった後でほのかに顔を紅く染めた姫は、盛大に膳を平らげた後でぼそりと呟いた。
 隣り合った夜具で眠るには、道中とはまた別の自制が必要だった。



 翌朝、宿で渡された地図を頼りに政所へ向かった。
 人々の住まう街区よりさらに高く巨大な岩山は、都でいえば内裏にあたるのか。
 床も壁も磨かれた石で水鏡のように輝いており、塵一つ落ちていない。
 そこを働く人々が忙しく草履で行き来している。
 姫が仕官に来たと告げると、その役を担うという者がすぐに来た。

「夫は土岐次郎、妾はその妻である」

 都から流れてきた武士と、駆け落ちした巫女と名乗ることにしたらしい。
 藤堂家の名をいきなり出して氏綱へ取り次げと言うのかと思いきや、それは勅使として来る我の妹が来るまで待つようだ。
 その場凌ぎの猿楽じみた戯言とはいえ、姫が我の妻と名乗ることが不快なわけもない。
 陰陽師司の前で姫が二三の術を見せると、呆れるほど容易に召し抱えられた。
 力ある陰陽師が一人でも多く欲しいのだという。
 軍の要所に陰陽師を使っているところを見ていたので、それもそうかと思う。
 ただ、藤堂家の姫であることを悟られなかっただろうかと心配になった。

 そうして、大和での生活が始まった。
 寺の鐘とともに動いていた京と違って、ここでは時が厳密であった。
 政所の上の空に、まるで虹で描かれたような文字が浮かんでいる。
 それらは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二の刻が外周に描かれ、内周に甲乙丙丁戊己庚辛壬癸が描かれている。
 それが時が進むとともに細かく移り変わるのだ。
 一刻が十の分からなり、辰の刻甲の分から政所が動き出す。
 姫は力を見込まれて早速こき使われていたが、あの通りの性格なので望むところとばかりに駆け出していった。
 大和の中には田畑も作られており、虫除けや病除けの呪いが定期的に掛けられているようだ。
 また、海の水から雨を作り出す役所があり、大和全体に豊富な水を行き渡らせていた。
 さらには、晴れや雨などの天候すらある程度決めたとおりに行えるらしく、向こう十日間の天気の予定などという恐るべきものが通知されていた。
 陰陽師が大量に必要な風水都市とは実際にはこういうことだったわけだ。
 なるほどこれならば、幾万を数える人々の暮らしを支える収穫を得るのも不可能ではあるまい。
 一方我は氏綱軍に配属されることを期待したが、さすがに抱えたばかりの者にそこまでさせることはなく、都市内での歩哨として働くことになった。
 検非違使のようなものかと思いきや、人々の生活で出る塵芥を集める仕事に始まり、市場での物品の輸送、住居となる岩山の整備など、日替わりで色々なことをさせられた。
 どうやら何に向いているのかを調べた上で役を割り当てられるらしい。
 多くの人々の一日の仕事は酉の刻甲の分をもって終わり、その日の働きに対して銭が支払われる。
 日が落ちると街のあちこちで、不思議な光が灯される。
 呪術や陰陽術によるのではなく、水を暖めて沸かした気をどうにかすると光を発するらしい。
 街区の至る所では酒とともに夕餉を出す店が賑わっている。
 一日の稼ぎに比べても安価で飲み食いできるため、老若男女問わずこのような店で夕餉を取ることが多いようだ。
 仕事を終えた姫と待ち合わせて、人々に倣って毎日異なる店を回って味を楽しむ。
 あちらは貝の料理の店、そちらは川魚の店。兎や猪の肉を出す店まであり、しかもそれが盛況であった。

「なんじゃ、妾が飲んではいかんのか」

 初日に目を離した間に派手に呑んでしまい、意識を失った姫をおぶって連れ帰ったこちらのことを考えてもらいたいものだ。
 揺すろうが着替えさせようがいっこうに目を覚まさない姫を前に、よくも自制できたものだと思う。
 夜になるとかえってはっきりと光って見える空の文字が戌の刻になる頃に、住まいとして借り受けた岩山の一室に帰る。
 一室といっても、夫婦住まいを想定したものらしく、土間に竈が備えられており、岩山の第三層だというのに、樋からは水が流れ落ちてくる。
 厠では汚物が残らず地の底へ落ちていき、臭いもほとんど残らない。
 さらには風呂まで備えられていて、湯が湧き出てくる。
 そのような大和での暮らしの特徴として、薪をほとんど使わないということが挙げられる。
 温めた水の気の力が巡っていて、米はその熱で炊くことができ、煮込むにも焼くにも自在である。
 朝餉は家で食べる者が多いようだが、朝餉のために水を汲んでくることも、薪を切ることも必要ない。
 そこでふと疑問に思った。
 遠くから大和を眺めたときに、飯炊きのものと思っていた煙は、なんだったのか。



 一月ほど働いていると、色々なものが見えてくる。
 大和の中心には聖魔城と呼ばれるひときわ高い一角があり、そこにはお屋形様と呼ばれる氏綱本人が住まうようだ。
 煙が立ち上っているのはその一部、時を刻む光を放つところの近くのようだ。
 おそらくそこが、暖められた水の気を作り出すところなのだろう。
 陰陽師や呪術者たちが多く出入りしていることはわかるが、薪を持ち込んでいる様子はなく、何が火の気となっているのかわからない。
 越後で湧き出ると噂に聞く燃える水であろうか。
 これ以上は新参者には如何ともし難い。
 そうこうしている間に、帝からの勅使、すなわち姫に化けた我が妹の一行が間もなく到着するという話が聞こえてきた。
 女官を伴った一行の足はどうしても鈍く、先行した我らとずいぶん時が開いてしまった。

「ミキには苦労を掛けたようじゃが、どうやら戻る時が来たようじゃの」

 大和の竈の使い方にも慣れた仕草で朝餉を仕上げた姫が呟いた顔に、寂しさが見えたのは我の願望であろうか。
 一月に及ぶ偽りの夫婦の生活が終わる時が来たということだ。

「以前、この大和が気に入らないと仰いましたが」
「あれか。よう覚えておったな。別にここでの暮らしが嫌であったわけではないわ」
「では、何が」
「大和に入ってから微かにだが疲れやすい。今もそうじゃ。
 外から入って来んとその違いにそもそも気づきようもないし、食事が充実しておる上に余計な仕事をせんでよい分、気にする者はおらんようだが」

 それが意味することは何なのか。
 何か、途方もなく不吉な予感がした。

 この一月の間に、堪えることなく姫を手篭めにしておけば、あるいはこの後に起こる全てが違っていたのかもしれない。



 もちろん、帝の勅使が来たということで大騒ぎになった。
 その騒ぎに乗じて一行に合流した。
 およそ二月に亘って姫を演じていた妹は、疲れた顔をしながらも随分と威厳を見せていた。
 馬子にも衣装というか、鍛えれば妹でも姫に見えるものだ。

「姫様っ、兄上っ」

 迎賓の館で人払いをしてようやく妹はこわばった顔をやめて笑顔を見せた。
 姫に抱きついている様を横から見ていると、似ているように思えなくもない。
 しかし、改めて勅使の衣装を纏った姫を見て、それは間違いだと考えを改めた。
 威厳も、気品も、霊力も、只人の及ぶところではない。
 五摂家も、恐れ多くも内親王すらも何するものぞ。
 その姫と仮初の夫婦であった我が身を振り返り、誇らしくも忸怩たる思いに囚われる。

 ともあれ、帝の勅使という肩書はこの地でもやはり絶大である。
 北条氏綱本人が直に会うことをすんなりと了承した。
 一月の間、近づけずに見上げていた中心地聖魔城に、堂々と正面から入る。
 傍に控える我の帯刀さえ許された。
 氏綱の謁見の間までは少なくとも七度は階段を登った。
 想像以上に城内は広大であるらしい。
 謁見の間もまたとてつもなく広い。百畳か、もっとあったかもしれない。
 そこに平伏して待っているのが氏綱本人であるのだろう。
 帝の勅使として姫が上段に座し、我と妹を含むお付きの者は氏綱よりも手前で控える。

「北条家当主に、帝よりのお言葉を告げる」

 といって姫が取り出した文書は実のところほぼ全文に亘って姫が手配して、藤堂家の根回しで帝の署名が入ったものだ。
 勧進帳ではないが、実は大和を見てから姫が文章を付け加える余地を残しておいたという代物だ。
 その姫が監修どころか執筆した内容はといえば、大和における治世を賞賛する一方で、人心の不安、繁栄の懸念、死者を用いた恐るべき軍勢への嫌悪、そして大和そのものについての詰問となっている。
 何故帝がそのようなことまで知っておられるのか、と言い出すと話が厄介になるが、

「お答え申し上げまする。帝におかれましては、そのような雑事に心惑わされることなく都にて安らかにお暮らし頂ますよう」

 顔を伏せたまま発せられた氏綱の回答は実に明確な拒絶であった。

「ふむ。面をあげよ」

 帝の勅使としての基本儀礼は終わったものの、姫は威厳を持ったまま声を掛ける。
 姫本人が藤堂家当主代行として正三位相当であるが、それを抜きにしても、鬼さえその言葉で打ち伏せる姫の言葉に込められた威圧感は、並の人間ならば逆らうことすらできなくなるものだ。
 だがその姫の言葉を聞いてもなお、氏綱は平然と顔を上げ、その動きが、途中で止まった。

「……そなた」
「……美しい」

 陶然とした声で、そんなことを口にした。
 これが斎宮ならばそもそも姫が余人に顔を見せるということもなかっただろう。
 だが、勅使である以上さすがに顔を見せねばならず、姫本人も顔を隠すつもりなどもとよりなかった。
 それが、予想外の結果を招いた。

「妾の顔などどうでもよい。改めて尋ねよう、左京大夫。なにゆえに死者をすら弄び兵と成して殺戮を行うか」」

 北条氏綱も武家の流行りとして、左京大夫の官位を受けている。従五位下で姫とはだいぶ差がある。

「帝へのご返答は申し上げましたが、それは姫ご自身の御下問でよろしゅうございますか。
 藤堂家当主代行綾姫」

 ぞくりと、した。
 姫はここに至るまで、決して真の名を名乗ってはいなかった。
 名を口にする。
 それは氏綱が姫の動きを少なからず把握していたということでは。
 そして、名を知られているということは、姫のような巫女に近い存在にとっては危険ですらあった。

「随分と遠くまで届く耳を持っているのだな」
「遠くまで見える目も持っているつもりでございましたが、私が今目にしているものの美しさまでは伝えてくれませんでした」

 わかっているだろうに平然とした姫に対して、氏綱もぬけぬけと告げる。

「いかにも。妾自身の問いであっても答えるつもりはないか」
「いえ、それならば話は別にございます。姫にお見せしたいものがございます」
「それがそなたの殺戮の理由というのなら、持ってくるがよい」
「いえ、持ってくること叶わぬものゆえ、姫にお越しいただきたく」
「この城の中にあると申すか」

 そう答える姫は、概ね氏綱が見せようとするものに検討がついていたのであろう。
 持ってくることが叶わぬなら、それはおそらく大きなものであり、おそらくは、この風水都市大和の中枢。

「そこな土岐次郎と一緒でよければ応じよう。その者は妾の刀にして鎧ゆえ」

 いきなり姫が、控えていた我に話を振ってきた。
 だが、心強い。少なくとも我の知らぬところで姫に手出しなどさせぬ。
 それに対する氏綱の答えは想像を絶していた。

「夫というのは偽りでございましたか」
「ほう、妾に気づいておったのに歓待もしてくれなんだのか」

 この一月の動きは全て把握してるぞと告げた氏綱に対して、姫も平然と答える。

「歓待には準備も必要にございましたゆえ。よろしゅうございましょう。そこな忠臣も共においであれ」
「よかろう、見せてみるが良い」

 そうして、姫の断りもなく立ち上がった氏綱は、どうやら自ら姫を案内するらしい。
 姫も立ち上がり我を促す。
 先導する氏綱と姫の間に立って進む足取りは、聖魔城の奥深くへと向かっていった。
 謁見の間から今度は下ること何層に渡るかもわからなくなってきた。
 どことなく重苦しい空気と、肌にまとりつくような力を感じる。
 間違いなく、この先が、この風水都市大和を繁栄させている力の源であろう。
 やがて、羅城門のゆうに三倍はあろうという巨大な門にたどり着いた。

「姫は問題ありますまいが、忠臣は気をしっかり持ったほうがいい」

 莫迦にするな。夜の平城内裏でも戦ってきた我ぞ。
 そう言おうとした我の顔に、とてつもない風のようなものが吹き付けてきた。
 三条大橋で百鬼夜行と遭遇したときでさえ、ここまでの威力は感じなかった。

「これなるは霊子櫓。我が都を支える力の源」

 尊大な態度を隠さなくなった氏綱は、仰ぐように両手を広げた。
 大仏殿よりもさらに巨大な空有に据えられたそれは、大仏よりも巨大な筒のようなもの。
 それに、口縄のごときものが幾重にも絡まっている。
 周囲には水が流れ落ち、水の気が溢れ、それとともに、膨大な数の人の声が聞こえた気がした。

「やはり、ここに集まっておったか」

 姫が疲れやすい、と言っていたことを思い出す。
 大和中の人々から力を少しずつ、ここに集めているのだと姫は推測していたのだ。

「だが、それだけではないな。
 集めた力を遥かに超える力があの筒の中から生まれてきておる」
「さすがは藤堂の姫、気づいておいでか。
 これなるは我らが秘儀、放神の儀。
 人々の力を集めて、さらなる力を幽境の彼方より呼び出す無限の秘法」

 高らかに告げる氏綱に、姫を超える威厳を覚えたのは否定できなかった。
 薪を燃やすことすらなく膨大な熱を取り出し、人々に幸いをもたらす力は、人々の力によって成り立っていた。

「幽境とはよく言った。
 それが何かわかっているからのあの兵であるな」
「いかにも。御下問の答えとしては納得していただけたかな」
「とくと分かったわ。この愚か者め」
「ではどうする、藤の姫よ。そこな忠臣に命じて儂を切らせるか」

 姫の顔が悔しげに歪みながらこちらを向く。
 しかし、我は動けなかった。

「無理ですな。背後から今貴方様に切りかかっても、おそらくその首取れますまい」
「ほう。姫が刀だけでなく鎧と頼むだけのことはあるようだな。腑抜けた北面の武士如きとは違うか。これは非礼を詫びよう」

 今ならば氏綱の周りを取り巻く力が見える。
 悔しいが、その力は我が及ぶところではない。
 この身を捨てて切りかかってもおそらく倒せない。
 ならば我の為すことは、最期まで姫を守ることにあるのだった。

「さて、どうするかね、姫。このことを帝に告げに都に戻るか」

 氏綱はわかっている。戻ったところで何一つ意味はない。
 都には姫と私以上の霊的な刺客はいない。戻ったところで将軍にも帝にも威光はない。
 足利将軍が守護大名に号令をかけたところで、関東管領何するものぞ。それを討ち果たしてきたのが北条早雲と北条氏綱なのだ。
 この霊子櫓を見た以上、姫は、ここにいるしかない。ここにいて、氏綱を倒す機会を待つしかない。
 いや、氏綱を倒すだけでは足りない。この霊子櫓をひっくり返すだけの機会を伺うしかない。

「愚問だな氏綱。妾の答えはわかっているのであろう。そのために妾にこれを見せた」
「いかにも。されば貴女に機会を与えよう。
 そして、今更ながら告げよう。ようこそ、我が夢の都、風水都市大和へ」

夢織時代 <zvoejguhin> 2016/09/27 00:02:44 [ノートメニュー]
  本編二 夢織時代 2016/09/27 00:03:18
  序章 夢織時代 2016/09/27 00:03:47
   ├あの頃を思い出しつつ まいどぉ 2016/09/27 02:35:25
   │└くるくると回る 夢織時代 2016/09/28 00:58:05
   └逢坂の関からアッチが Rudolf 2016/10/17 21:46:45
    └私も実は 夢織時代 2016/10/21 00:48:42

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