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4月1日は米田一基さんの誕生日です。

  4月1日は米田一基さんの誕生日です。 夢織時代 2006/04/01 23:58:54
  (色々バレ)おめでとうございま、した! Rudolf 2006/04/02 12:35:31
  │└いえいえ、こちらこそ 夢織時代 2006/04/02 23:35:16
  遅れましたが誕生日おめでとうございます クラウス 2006/04/04 00:32:51
   └日清日露そして降魔 夢織時代 2006/04/05 01:09:31

4月1日は米田一基さんの誕生日です。 [返事を書く]
対降魔部隊ファンの夢織時代です。
スレスレになってしまいましたが、
本日4月1日は米田一基さんの誕生日です。

ええ、四月バカではありません。本当です。

帝国華撃団司令として帝都の為に戦い、
帝国歌劇団大帝国劇場の支配人として花組の父親でもあった彼は
今は引退して……歌謡ショウを見る限り、あまりのんびりもしていないようですが。


さあ、彼が出るはずのKOUMAはどうなっているのでしょうか。
気になることは山ほどありますが、

米田さん、お誕生日、おめでとうございます!
夢織時代 <hifxzshfjl> 2006/04/01 23:58:54 [ノートメニュー]
Re: 4月1日は米田一基さんの誕生日です。 [返事を書く]
(色々バレ)おめでとうございま、した!
支配人、出頭が遅くなり大変失礼いたしました。地下鉄が渋た、(以下検閲)

 昨年は歌謡ショウ再出演により、(元)支配人の露出がまた大きくなったのは
喜ばしいんですが、軍に乗り込んだりしている様を見ると、いつぞやのTV版にて
縁側でのんびり爪切ってる(という描写だった・・・よね?)頃のほうがよっぽど
のんびりできていたのかって思います。(笑)
 昨日とってきた「跳んでる花組♪」DVDでは大神クンのことを支配人呼ばわり
していました、時期的には間違っちゃあいませんが「支配人=米ちゅう」の図式が
解かれていない私の耳には、最初米ちゅうの事だと思っていたとかどうとか(^^;


Alles Gute zum Geburtstag,Herr Yoneda♪
Rudolf <vqqeudmxtw> 2006/04/02 12:35:31 [ノートメニュー]
Re: (色々バレ)おめでとうございま、した! [返事を書く]
いえいえ、こちらこそ
陛下、申し訳ありません。帰りの翔鯨丸が混ん(以下略)

歌謡ショウではとても引退されているとは思えない元気さでしたね。
威圧感と存在感も昔のままというか、むしろ、大帝国劇場で好々爺を装っている時の方が
彼自身は心からゆったりしていたようにも思えてしまいます。
まあもちろん、そう見えて裏では娘たちを守る為に権謀術数を巡らすことも辞さなかったのですけど。

で、白状しますと。
昨日帰ってきてから時間が無くて慌ててツリー文章を書いているときに、
危うくタイトルを「米田中将」にしたままアップするところでした。
で、危ない危ないと修正して
「米田支配人のお誕生日です」
……これも違いました。

本当に、そのイメージが頭の中に確立されているんですよねえ。
大神が支配人というのは、歌謡ショウとVの冒頭でしか姿を見ていないので
なんだか未だに実感が湧きません。
大神が米田に匹敵するだけの貫禄を以て支配人と呼ばれるには
もうちょっと修行が必要でしょう。

米田が太正恋歌で泉鏡花と対談したときの様子などを見ていると、
その道はまだ遠く果てしないようですが。


ツリー参加ありがとうございました。
それでは、また。
夢織時代 <hifxzshfjl> 2006/04/02 23:35:16 [ノートメニュー]
Re: 4月1日は米田一基さんの誕生日です。 [返事を書く]
遅れましたが誕生日おめでとうございます

 昨年と同じくヨン様(4/3)の日を過ぎてしまいましたが、私も米田一基さんの誕生日をお祝いします。

 米田さんについて少し考えてみたのですが、日露戦争で名将とうたわれた彼は、激しいところもありますし、またとても優しい面もあります。

 この日露戦争では激戦が続き、銃弾が雨の如く降りそそぐ中を兵士に強行突破を続けさせたようです。そのため恐れた兵士の中には自傷し、戦闘から逃れようとするものもよく出たようです。もし、そんな兵を見たら、、たたっきってやると言うかもしれません。日本男児たるもの死を恐れるなとも発破をかけるかもしれません。

 もちろん、彼自身この作戦が最良とは思ってなかったでしょうし、また死と隣り合わせの兵達には何とか生きてほしいと願っただろうし、その労にも報いたいとも考えたかもしれません。自分が死んでも部下達は何とか生きて欲しいと思ったでしょう。しかし、現実の戦争では、士気を高めるうえでも、また最後まで誇りを持たせるうえでも厳しくあらねばと思っていたかもしれません。

 もし自分が捕虜になりそうな状況の時は、通常の場合は自決ということを考えるでしょう。捕虜になることは恥と思っていたでしょうから。しかし、自分の恥は死ねばそそげますが、そういう恥よりももっと大切なことがあることを知っていたと思います。むしろこころならずも俘虜になったものに対して、よくしていこうと考えたでしょう。

 日露戦争当時には西欧的な人道主義の思想も軍事面に入ってきましたが、むしろ彼は日本の伝統的で封建的な価値観をふまえたうえでの人道主義があったと思います。「義理と人情」というものでしょうか。

 ともあれ、これからもきっぷのよい声で活躍してもらえたらありがたいです。 

 また拙く書きましたが、あらためて誕生日おめでとうございます。
クラウス <shlffduqir> 2006/04/04 00:32:51 [ノートメニュー]
Re: 遅れましたが誕生日おめでとうございます [返事を書く]
日清日露そして降魔
こんばんは、クラウスさん。夢織時代です。
共に米田中将の誕生日を祝えることに感謝申し上げます。

太正時代の彼からは、降魔戦争で真宮寺一馬を死なせたことの後悔が滲み出ているので
特に対降魔部隊ファンの私なぞはそこに注目しすぎてしまうのですが、
……言われてみればそうでした。
振り返れば彼はそのことを絶対に忘れていませんでした。
「いくら戦争で武勲を立てて、勲章を胸にぶら下げても、俺は、
 いっぺえ人を殺したんだよ。
 敵も味方もな。殺しすぎたんだ……」

サクラ大戦世界における日露戦争はまだ一部しか明らかになっていないので、
公式発表とSEGABBSでの皆様の考察とがけっこう頭の中でこんがらがっているのですが、
特に長春大会戦の退却戦を指揮して多くの兵士を生還させたことが
彼の名前を不動の物にした要素はあるようです。
(間違いだらけのサクラ大戦クロニクルの記述なので、どこまで今後踏襲されるかはわかりませんが……)
ですがそれだけで終わるはずもなく。
巴里前夜だったかでわずかに触れられていましたが、機関銃が飛び交うのに人型蒸気が配備されていない
日露の戦場は恐ろしく過酷なものだったことでしょう。

それ以前の日清の戦場でも、一個大隊で数万の軍勢を相手に拠点防御を成し遂げたと言われていますが、
やはりこのときも、膨大な犠牲を払ったことは想像に難くありません。

その彼にとっては、大神は奇跡にさえ思えたのではないでしょうか。
長年の戦友であるあやめさんを失ったものの、
実戦部隊の花組の死者はゼロで太正十二年度を終えた彼は、なれなかった米田の理想かもしれません。
古典的ともいえる将同士の激突で決着する華撃団の戦いにあって、
西南の役の直後から戦い続けてきた米田が持つ封建的価値観は
いっそ見事に適合するものだったのかもしれません。

一方で、歌謡ショウでの米田は義理と人情の塊のような江戸っ子なんですよねえ。
海神別荘前夜でも、江戸っ子の気風を纏った米田がわずかに見られますが、
歳を取ってなお見事な人生だと思います。
これからもかくあれと願いまして。

改めて、米田さん、お誕生日おめでとうございました。

それではまた。
夢織時代 <hifxzshfjl> 2006/04/05 01:09:31 [ノートメニュー]

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