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4月1日は米田一基さんの誕生日です。

  4月1日は米田一基さんの誕生日です。 夢織時代 2006/04/01 23:58:54
  (色々バレ)おめでとうございま、した! Rudolf 2006/04/02 12:35:31
  │└いえいえ、こちらこそ 夢織時代 2006/04/02 23:35:16
  遅れましたが誕生日おめでとうございます クラウス 2006/04/04 00:32:51
   └日清日露そして降魔 夢織時代 2006/04/05 01:09:31
Re: 遅れましたが誕生日おめでとうございます [返事を書く]
日清日露そして降魔
こんばんは、クラウスさん。夢織時代です。
共に米田中将の誕生日を祝えることに感謝申し上げます。

太正時代の彼からは、降魔戦争で真宮寺一馬を死なせたことの後悔が滲み出ているので
特に対降魔部隊ファンの私なぞはそこに注目しすぎてしまうのですが、
……言われてみればそうでした。
振り返れば彼はそのことを絶対に忘れていませんでした。
「いくら戦争で武勲を立てて、勲章を胸にぶら下げても、俺は、
 いっぺえ人を殺したんだよ。
 敵も味方もな。殺しすぎたんだ……」

サクラ大戦世界における日露戦争はまだ一部しか明らかになっていないので、
公式発表とSEGABBSでの皆様の考察とがけっこう頭の中でこんがらがっているのですが、
特に長春大会戦の退却戦を指揮して多くの兵士を生還させたことが
彼の名前を不動の物にした要素はあるようです。
(間違いだらけのサクラ大戦クロニクルの記述なので、どこまで今後踏襲されるかはわかりませんが……)
ですがそれだけで終わるはずもなく。
巴里前夜だったかでわずかに触れられていましたが、機関銃が飛び交うのに人型蒸気が配備されていない
日露の戦場は恐ろしく過酷なものだったことでしょう。

それ以前の日清の戦場でも、一個大隊で数万の軍勢を相手に拠点防御を成し遂げたと言われていますが、
やはりこのときも、膨大な犠牲を払ったことは想像に難くありません。

その彼にとっては、大神は奇跡にさえ思えたのではないでしょうか。
長年の戦友であるあやめさんを失ったものの、
実戦部隊の花組の死者はゼロで太正十二年度を終えた彼は、なれなかった米田の理想かもしれません。
古典的ともいえる将同士の激突で決着する華撃団の戦いにあって、
西南の役の直後から戦い続けてきた米田が持つ封建的価値観は
いっそ見事に適合するものだったのかもしれません。

一方で、歌謡ショウでの米田は義理と人情の塊のような江戸っ子なんですよねえ。
海神別荘前夜でも、江戸っ子の気風を纏った米田がわずかに見られますが、
歳を取ってなお見事な人生だと思います。
これからもかくあれと願いまして。

改めて、米田さん、お誕生日おめでとうございました。

それではまた。
夢織時代 <hifxzshfjl> 2006/04/05 01:09:31 [ノートメニュー]

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